君に綴る物語 11 母について想うときに君を想うこと
母が大病をしてもう六年目をむかえている。思い返せばよくここまでどうにか命をつないでいるものです。さすがにもうダメかもっと考えることも数度あり、その度に驚異的な回復力で復活する母。 母が病で倒れてからの時間が、考えれば君が我が家族を献身的にサポートしてくれた歴史でもあります。
最近ようやくではあるが母のことを考えるようになりました。きっかけの一つがアメリカのニュースで 「認知症の人々にその方が好きな音楽を聴かせると、当時の記憶がよみがえり 楽しそうに思い出話をしている。」 映像をみて、母の好きな音楽ってなんだろう? って思うと愕然としました。
何にも知らないのです。母の事を。 よく考えたら単純に母が一人の女性であることさえ正しく考えたことがありませんでした。 余りにも何も知らない自分。 少しでも 知ろうと努力する君の姿。
何もかも今までは母にまかせ、今度は君に全てを任せようとしているような自分。決してそんなつもりではないものの、結果的には あるいは客観的にはそうでしかない時間がいままで続いてきている。
そんな母の事を少しでも知ろうと考えて今年から始めているのが、「母のお気に入りのラジオ番組を聞き、ハガキを投稿して少しでも読まれて、その読まれたハガキの話を母がしてくれれば嬉しいなっ。」作戦を決行している。
母のことを想い ラジオを聴く。
そして感じたことを ハガキを通じてかく。
時々 読まれる。
もしかしたら その話に母が興味を持ち話すかもしれない。
なんか遠まわしな表現だが、こんな事ができてとてもうれしい。
君の存在があるからこそ、このような機会に恵まれた。とても有難いことです。有難いことを得られる機会に感謝しながら 君を想う。
そして母を想い、時に涙がこぼれそうになる。 しかしこぼせない。 そう 涙をこぼす程のことを僕はまだ行っていない。
何ができ、何をするべきなのであろうか。 母を想うときに 同時に君も想う。