kamigamo2013's blog

WIN5中心、馬券は本命党で土曜の午前中に勝負レース。1点ワイド勝負を研究中。好きな予想家は治郎丸敬之。政治の先送りより馬券の先送り

君に綴る物語  9  阪神淡路大震災  今思いかえすと

阪神淡路大震災の数日前までに、今思い返すと 印象的な家族内でのことがまだある。一つは 前日に父がお伊勢参りに行って帰ってきて 僕にはお守りを、母には御札をもとめてきてくれた。 母の御札は 何気なく高い場所がいいだろうと思い、僕が母の部屋のタンスの上に置いた。 そして僕のお守りは、もらって胸のポケットに入れたまま忘れていた。 震災後一週間は、傾いた家で母と過ごしていた。お風呂に入ることもなく、枕元に靴を脱いで寝るような状況だった。 余震が続き 数日立つと 震度を当てられるくらいになっていた。 一週間後 母が 「やっぱり知人の所に少しの間だけお世話になる。」っと言ったので。 先の知人宅へ車で向かった。 梅田の喧騒がまるで別世界のように感じ、何か不思議な感覚にとらわれた。 知人宅では、まづお風呂に入れさせていただいた。その脱衣所で服を脱ぐ時に、胸のポケットの存在に気づき、「あーお守りだ」っとつぶやいた。  ちなみにウチでは ありとあらゆる物が倒れ、飛んできたが、不思議と母の部屋だけは何も倒れなかった。 

 お守りのお陰などと言い張るつもりはない。

ただ そういう事があったことを、思い返す。

 もう一つ似たようなことがあった。

 普段から 大体父の布団を敷くのは僕の係だった。 割と几帳面な僕は、毎日必ず枕元の電気スタンドの場所を確認してそこの合わせるように布団を敷いた。ただその日だけは 後にも先にもこんな横着なことはないのだが、父がその日も酔って帰り 又めづらしく不機嫌なことも重なり、押入れから布団を出して 置いた そのポジションを移動しないで そのまま布団を敷いた。 スタンドからは大分遠く「なんか悪いなー。」っと感じた。 次の日 明るくなり父の部屋を見たときの光景は憶えている。 スタンドの上に2メートル位の仏壇が倒れ、布団の周りに 父を避けるようにスピーカーとか花瓶が散乱していた。 

 この二つは印象的な出来事でした。 それでも不思議と最近忘れてきていることも多いと思う。 この逆説的な二つの出来事が僕の周りではほとんど同時期に起こっていたんです。